学校給食と子どもたちへの食育を応援する

令和元年度中国貴州省教育視察報告書

所属 柳井市立小田小学校 職名 栄養教諭   中津井貴子
派遣期間 令和元年 12 月 8 日 (日 )1 3 日 (金)
派遣場所 中国貴州省

1 中国の子どもと学校給食の現状

中国貴州省興義市で行われた日中学校給食交流会において、下記の内容を中国疾病予防管理センター(CDC) 張倩主任から説明を受ける。

現在、中国の子どもたちの健康状態で抱えている課題は、肥満傾向の子どもが増えている反面、子どものやせや栄養不良で病気の子が多いということである。

A 貧血

中国の中でも中西部の子どもの栄養状態が悪く、栄養不良の子どもが約15%(2010-2012年)いる。また、こうした農村部の貧困地区では貧血の子どもが多く、2012年で17.0%と多かったが、2017年には6.8%まで改善してきた。

B 肥満

中国全域(都市部・農村部を問わず)で肥満傾向にある子どもは2002年から2012年の10年間に2.2%から6.2%に増加している。2012年の調査結果では、都市部が7.5%で、農村部が5.0%と都市部が高い。都市部の子どもの肥満は、肉を多く食べる生活習慣の影響もある。

C カルシウムの摂取量が少ない

農村部の子どものカルシウム摂取量は少なく、目標量300mgに対して200mg程度である。

D 朝食欠食率

朝食欠食率は、6~11歳の都市部で6.1%、貧困農村部で11.4%と貧困農村部が高い。12~17歳では都市部が18.4%、農村貧困部が11.1%と都市部が高い。中国の子どもの朝食欠食率は高く、特に、都市部の12~17歳は約5人に1人が朝食を食べないという状況があり、経済力があっても朝食を食べない状況がある。

F 清涼飲料水を飲む頻度

2012年の調査において、6歳から17歳の「清涼飲料水を毎日飲む」は、貧困農村部が8.4%、都市部が29.5%と、都市部の子どもの約3人に1人が清涼飲料水を毎日飲んでいる。また、こうした状況は、肥満や虫歯などの生活習慣病発症のリスクが高まり、改善すべき課題である。

G 運動習慣

中国の子どもは、運動よりも勉強が大事とされているため、運動をする機会が少ない。

 

2 国民の健康を守るための施策

こうした子どもの現状を解決するために、中国では日本の「食育基本法」を手本とする「健康中国2030規則綱要」という子どもの健康と栄養に関する法律を2016年に制定した。その中に、国民の健康は何よりも大事であり、中国がこれから国民の健康や子どもの健康教育を学校で行うことを基本とすることを示した。具体的な内容として、学校給食を実施して子どもの栄養を確保すること、肥満傾向児を増やさないこと、健康教育を行って行くこと、農村部の学校給食を推進して国民の健康を守ることなどが明記され、子どもの生涯にわたる健康を注視した内容となっている。

この法律を元に策定され、取り組まれている施策を次に示す。

A 健康中国行動(2019年~2030年)

教育部、衛生部、食品管理部の3部局が合同で健康に関する法律を策定し、国民の健康を守る栄養の専門家の職務内容を15項目(健康に関する知識を普及すること、栄養バランスの良い食事を提供すること、小学生と中学生の健康を促進することなど)が示された。

B 子どもの食事の手引き、学校給食指南(2017年 衛生部作成)

小学校から中学校までの児童生徒の給食をどのような内容で提供していくか、摂取栄養量の目標量から献立作成時の注意事項までを細かく示している。

C 義務教育の栄養改善計画

中国中西部の貧困地区の子どもの給食を実施するために中国西部の教育部と宣伝部と衛生局などの政府群が合同で「中国学生栄養計画」を作成した。2011年には、国の中央政府の財源で中国で最も貧困な場所にある学校の学校給食を開始した。

2011年11月開始当初学生一人当たり3元(日本円で48円)を年間200日分補助をしている。2014年4月からは4元(日本円で64円)に増額して補助をしている。

つい先月打ち出した教育部の法案では、政府が補助している補助金の全額を給食の材料費に充てることを厳格化した。しかし、全ての子どもの給食費を国が補助することは財政上困難であるため、農村部の小学校1年生から中学校3年生までの9年間の補助をしている。

また、学校給食の実施にあたり国と地方政府は、学校給食施設や食堂の建設、学校給食を作る給食調理員の人件費、寮に入っている子どもの援助などを行ってきた。現在、中国政府の学校給食に対する予算額は1591億元(2兆5456億円)であり、国も地方政府も貧困地域の子どもの学校給食に力を入れて取り組んでいる。また、子どもの体位等の向上にも力を入れている。

2019年4月現在で、地方政府の援助が905箇所(1576万人)、国の援助が726箇所(2137万)という状況である。国は、地方政府の補助を次第に増やしていき、地方政府だけで学校給食を維持していける形に移行していきたいという考えを持つている。

D 一人当たりの給与栄養量の算出

中国は、地域や民族によって食習慣が異なる。電子栄養計算ソフトを用いて料理名、使用する食品名と使用量を入力し、1食分の給食の栄養量を計算できるシステムになっている。

E 学校栄養食育推進モデル校の指定

中国全域から8校をモデル地区に指定し、中国全域で食育が推進できるよう取組を進めている。

 

3 中国の学校給食施設の見学

見学した世紀陽光管理会社は、中国の貴州省興義市にある学校給食施設の管理・運営会社である。4つの学校給食施設を持ち運営を行っている。朝食として約3.6万食、昼食として約11万食、夕食として約5.7万食の給食を調理し、一日に約20万食の学校給食を調理して子どもたちに提供している。

日本では、20万食の学校給食を提供している学校給食施設は無い。食中毒事故防止、異物混入事故防止、食物アレルギーを持つ子どもに対する対応等、日本では児童生徒に学校給食を提供するというだけで配慮すべき点が多々あり、巨大な学校給食施設の建設は困難である。「20万食」という食数の多さを聞いただけで、学校給食施設の規模の大きさと20万食をも提供することができる学校給食給食施設を建設することができた中国の考え方に驚いた。

では、実際にどのように給食が調理されて、提供されているか、施設見学した内容を下記に示す。

1)世紀陽光管理会社の概要

世紀陽光管理会社が運営する4つの学校給食施設も国の施策である「義務教育の栄養改善計画」の補助を受け学校給食施設を建設して稼動させている。2005年4月に第一号の学校給食施設を開所した。会社の企業理念は「子どもの母親となり愛情を込めた給食を作ること」である。私たちは、4つのうちの1施設を見学させてもらった。

世紀陽光管理会社が給食を提供している地域は、中国の中でも貧困地域にあり、子どもの家庭環境は父親も母親も都市に出稼ぎに出て不在の家庭が多く、祖父母に世話になる家庭や子どもだけで寮生活をしている環境にある。そのため、給食は地元農家と契約した食材を使用し、子どもたちにも新鮮な野菜を食べてもらうようにしている。給食の食材に地元の野菜を使用することで、給食の提供地域の農業を発展させて少しでも貧困から脱却させたいという考えもある。

国から一食当たり4元を補助してもらい、給食の費用としているが、4元全てを食材費に充てることはできず、4元には光熱水費等も含まれる。このことから、食材の原価を少しでも安く調達することに力を入れる。購入した野菜は自社での残留農薬検査を行った食材を使用し、衛生管理に関するチェック項目をクリアできた給食調理員が調理業務に携わる体制で安心・安全な給食を作ることに努力している。

2)衛生管理

日本の学校給食の安心・安全は学校給食法の第九条 学校給食衛生管理基準により担保されている。しかし、中国では日本の衛生管理基準のような法で示されたものはなく、各学校給食調理施設独自の衛生管理で給食の安心・安全を確保することになる。

見学させていただいた学校給食施設は、配膳スペースはドライシステムであったが、他はウェットシステムで調理作業ごとの部屋の区分がされていた。調理場内を見せていただき、配置されている調理機械は日本と同じような機械を使用していると思った。肉処理室では小さく切った冷凍肉を鉈のような調理器具でたたきながら小さく砕いていた。骨付きの肉が使用されていることに中国らしさを感じた。調理作業の様子は、日本の平成8年以前の給食調理現場のようで、次のような衛生管理上問題が有ると感じる点がいくつかあった。

 

調理作業着

・調理作業着の色がグレー色であるため、汚れていても目立たない。

・帽子は、紙製のキャップであるため、髪の毛全てを覆うことができていない。

・シンクから水があふれ出るため、長靴を履いて作業をしていた。

食材の置き場所

・食材が床に山積みされていた。

・洗った食材が床からのはね水で汚染される高さの位置に置かれていた。

・ドライシステム仕様のシンクでないため、床に水が落ちる。

食材の洗浄作業

・シンクに入れる食材の量が多く、流水で洗っているがシンクの中の水が濁るくらい汚れていた。

3)給食の献立内容

給食の献立内容は、主食(白ご飯)、副食(炒め物が3種類)である。食材費に牛乳や果物などのデザートを付ける余裕はない。

副食のおかずを調理する調理機械は中国らしく鉄釜仕様の回転釜が使用されていた。おかずは調理に手間と時間をかけられないためか炒める(chǎo)という調理法が主で、回転釜で油を熱し、その油で食材をさっと炒め、火が通ったら調味してできあがる料理3品である(下の写真)。

 

配送校の中には給食調理施設を持つ学校もある。よって、20万食全てを4つの学校給食施設だけで調理しているのではなく、セントラルキッチンの役目も持ちながら給食の提供もしている。4つの学校給食調理施設で洗浄から切断するまでの調理工程を行い、給食調理施設のある学校ではその食材を使用して仕上げの加熱調理を行っているので出来立ての給食が食べられる。

4)中学校寮生の給食の様子

窓越しに中学生の授業を受ける姿も見ることができた。日本と変わらない大きさの机であるが、ほぼ全員の机上に教科書等が頭2つ分積み上げられ授業が進められていた。机上に積み上げられた教科書を見て、中国の子どもたちはこんなにも真面目に勉強しているのかと思った。授業を終え、寮で生活する中学生は、夕食を待つ間スポーツを楽しんでいた。子どもを写そうとカメラを向けると、写されることを嫌がって、すぐに後ろを向いた。

夕食の給食時間が始まると、一人ひとり個人持ちの食器一つを手に取り行列を作った。行列の先には、先程まで給食を作り、調理器具の片づけをしていた調理員が一人、お玉は1つで3種類のおかずを手際よく子どもが持つ食器に注いでいかれた。

一つの食器に3種類のおかずが注がれていくが、3種類の料理の味が混ざり合うことに誰もためらうことはなかった。次に、子どもは注がれたおかずを覆い隠すように自分の食べたいだけのご飯をよそう。1つの食器におかず3種類を入れ、その上にごはんをよそうのだから盛付けも色どりもない。この状況を目にすると、食器が小さい子は量を少ししか食べられず、大きい子は多く食べられる。その子が食べられる量は器の大きさによって摂取できる栄養量が決まってしまい、この光景は人が生きる為の生存競争だと感じた。男女構わず食器に入るだけのごはんを山盛りによそう子どもたちの姿に、この子たちにとっては、この給食が一日の中で食べられる唯一の食事なのかもしれないと思った。

また、食堂で椅子に座って食事をする子どもは一部であり、食堂に入りきれない子どもは、しゃがんで食べる、または、立ったままで食べるしかない。子どもたちの姿を見せていただいた日が晴天であったが、雨天の日にはこの子たちは雨に濡れながら食事をとっているのかもしれない。

日本と中国、中国の中でも都市部と貧困地区と子どもの生活環境は大きく異なると思うが、学校給食の違いを子どもたちの姿から学んだ。

4  視察を通して(得たものや考えが変わった点、今後に生かしたい点)

・中国と日本の学校給食の相違点

日本は「学校給食法」という法の下で、明確な目標を掲げ義務教育諸学校の設置者と国や地方公共団体の任務と学校給食栄養管理者が明記されている。また、国として法の中に学校給食実施基準と学校給食衛生管理基準が示されているため学校給食の内容と安全性が担保されている。一方、中国ではこのような基準が示されていない。視察したことで、国の法的措置の有無による違いを知り、改めて日本の学校給食法という法的措置がされていることの素晴らしさを感じた。

現在、日本は食料自給率が37%(H30年 農林水産省)と低値の国である。平成26年度に農林水産省が今の日本での食料自給力指標から食事メニューを試算した例では、日本の食料自給率を100%と換算した場合、一人が一日飲むことができる牛乳の量は41gから70gで、牛乳を飲むことができる量は3日~5日にコップ1杯という割合になる。現在の学校給食では当たり前のように毎日200ccの牛乳を付けることができているが、毎日の学校給食に牛乳を1本提供することができているということは並大抵のことではなく、学校給食法という法律があり、成長期の児童生徒に必要な栄養素の確保することが明記されるからこそ提供できるということである。今回視察で訪れた貴州省の学校給食では牛乳が提供されていなかった。牛乳が提供されていない故にカルシウムの摂取量が低いということは当然のことである。視察でその話を聞いた時にはこのことに気づくことができなかったが、視察から帰国し現場で給食を作り、日々の業務をこなしながら貴州省派遣で見てきたことを振り返り感じる。

・中国人の忠誠心

私は、外国の雇用の考えは、会社は社員に「役職」と「(それに相応しい)報酬」をGIVEし、社員からは「成果」をTAKEする考えであり、社員が「会社のため」に忠誠心をもって働くというイメージはなかった。また、中国においてもこの考えで「自分のため」に働くことを優先し、会社は自分の価値を上げるためのひとつの場という考えで働いておられるのであろうという認識であった。

しかし、視察した「世紀陽光」という会社は、20代から40代前半の若年齢層の社員であり、巨大な会社組織の経営・運営という管理の立場を担っていたが、決してそのようなことはなく、若手社員の会社に対する忠誠心の強さ、そして、王社長の会社の将来に対する熱烈な思いと私たち視察団に対するもてなしは、相手を大切に思う温かい心を強く感じるものであった。

・視察で得たこと

私は、チーム学校給食&食育の栄養教諭の海外派遣の事業がなぜあるのか、田中理事長は何故栄養教諭を海外に派遣して海外の学校給食等を目にする機会を設けておられるのかということを考えていた。

視察し、現場を見せていただいたことで中国の学校給食施設のスケールの大きさと中国の現状を知った。また、世紀陽光の社員の姿勢から、この会社の成長と中国の学校給食がこれから望ましい方向へと変容していくことを感じた。また、この報告書をまとめるということが中国貴州省という地域をより深く知ることになり、中国に対する私の関心が高まるとともに、今の日本の食料自給率の低さやこれからの日本を担っていく児童生徒の教育に対する課題も見つかり、世紀陽光の社員の姿勢からも見習うことが沢山あった。

 

5 今後、派遣される方々へ

「郷に入れば郷に従え」と言う言葉がある、風俗や習慣、文化の違いを楽しむという心構えで勉強させていただくことが大事であり、そして、事前にチーム学校給食&食育のホームページや事前に事務局等で準備物等を伺って準備しておくとよいと思う。

 

6 その他

今回派遣していただいた貴州省は、中国の中でも飛行機を乗り継いでいかなければならない場所にあり、しかも、一日の供給食数が20万食という希少な学校給食の状況を視察させていただいた。

その中で、何よりも印象に残ったものは、「世紀陽光」という20万食の学校給食を提供している会社の王社長と社員の忠誠心を持ったもてなしで、人をもてなすということはこのようにしなくてはならないのかということを学んだ。また、いかにチーム学校給食&食育の理事長である田中延子先生に対して敬意を表しておられるかということと、田中先生のお力をいただきたいと思っておられるかという思いを強く感じた。

私は、田中延子先生と一緒に同行させていただけるだけでありがたいことなのに、一緒の対応をしていただけることに恐縮至極の思いでいっぱいだった。今回視察に同行させていただいたことで、田中先生がこの先の何を見ておられるかの一コマを見せていただいた。私も自分の力を求められたときにいつでも力が出せるように、常に前向きに仕事を頑張っておかなければならないと思った。チーム学校給食&食育に入会させていただいたことで、今回のような貴重な経験・体験をさせていただいた。チーム学校給食&食育では今後も、子どもに「炊飯器でご飯を炊く」という技術を身に付けさせるという私たちの目的達成に向けた自身のスキルアップに努めたい。

 

7 中国貴州省の概略

貴州省の省都は貴陽市で、中国西南部の雲貴高原に位置し、面積は、17.6 万k㎡(北海道の2倍の広さ)で中国全体1.8%を占める。貴州省の常住人口は3,600万人(2018年)で、全省人口の約3分の1を少数民族のミャオ族やドン族などが占める。気候は温暖湿潤気候に属し、年間平均気温は15℃で極端な暑さ・寒さはない。乾季と雨季があり、気候が不安定で災害が多い地域と言われる。

中国貴州省ミャオ族(苗族)HPより

*貴州省日本観光センター http://www.kishu-kanko.com/map.html 2020,2,6,ダウンロード

1)中国の教育環境

1998年の統計データによると、貴州省の就職者の教育レベルの比率は、非識字者が28.1%、小学校卒が38.2%、中学校卒が25.0%、高校卒が6.6%、大学・高等専門学校以上が2.2%であり、15歳以上の非識字者、半非識字者が人口の28.98%と高値を示す。

中国の教育格差は、都市部の食糧供給を安定させ、社会保障を充実させるために導入された「戸籍制度」が背景にある。国民の戸籍を「農業」(農村部住民)と「非農業」(都市部住民)に分けた戸籍制度が根本にある。

その戸籍制度により、一時、農村部から都市部への移住は厳しく制限されてきた歴史があり、今も全人口の6割超が「農業」とされ、4割弱が「非農業」の戸籍に分けられる。行政サービスの医療や社会保障など多くの分野でも違いがあり、農村出身の出稼ぎ労働者は都市部に住んでも戸籍を変えることはできず、都市戸籍と同じ行政サービスを受けられない人も多いという。

改革開放後に規制が緩和され、農村戸籍者の都市部への移住や就学は解禁されたが子供の就学率は依然低い。また、都市部の大学では農村戸籍と都市戸籍の学生の合格ラインが異なっていたり、農村戸籍の学費が都市戸籍の学生よりも高いなどの格差がある。

この格差をなくすために、中国政府は2014年に、2020年までに農村戸籍を廃止し、統一するという政策を打ち出している。

 

2)食・栄養

A 貴州省の料理

中国には広大な国土の中に漢民族を含めて少なくとも56の民族が暮らし、それぞれに独自の文化がある。地理的条件が様々であることから地域地域ごとに育まれた食文化に独特の特徴が見られる。中国料理の代表的なものとして、四川・広東・山東・江蘇の「四大菜系」、これに福建・安徽・湖南・浙江を加えた「八大菜系」に分類される。

貴州省は四川省の南に位置することから、「貴州料理」は四川料理の系統に含まれ、「貴州料理」は四川料理と少数民族料理(ミャオ族、トン族、プイ族、スイ族)が混ざって生まれたと言われる。しかし、「しびれる辛さ」と表現される四川料理に対して、貴州料理には「酸味のある辛さ」があると言われる。その違いとして、貴州省が地理的に海はなく、塩の産地でもないことから塩の少ない地域特性から、塩の代用品としてトウガラシと醸造酢を使用し、貴州省の料理は「酸、辣」が特色といわれる。

現在でも中国東北部・南部では犬肉を食べる習慣があり、貴州省でも犬食の風習が残っている。地名にも養殖場があった場所として、「狗場」等の名が使われている場所が多くある。中国医学では、犬肉には身体を温める作用があると考えられているため、シチューに似た煮込み料理などに加工して冬によく食べられる。

B 犬食の食文化

犬食の文化は、中国以外の国では台湾、韓国、北朝鮮などの国にあった。台湾では「香肉」という呼び名で好事家の食文化として犬食が存在していたが、2001年の動物保護法の施行により食用を目的とした犬や猫の屠殺を禁じられ、2003年以降は販売・流通はされていない。今も韓国では数百万頭の食肉専用に改良された犬種が飼育されているが、韓国の法制度では犬を「家畜」として扱っておらず、犬肉の流通・販売は違法でも適法でもないというあやふやな状態である。北朝鮮では、食糧難の中、数少ない蛋白源として犬肉は珍重されており、犬自体が残飯をえさにして育つことから、家庭で小遣い稼ぎに飼われ、育った犬が売買されているという状況がある。

日本では、徳川綱吉が出した生類憐れみの令の時期に、犬食文化は衰退したとされる。現代の日本では、犬はペットとして愛玩対象で、食べるという習慣は完全に風化した状態であるが、日本でも大久保・御徒町・猪飼野などのコリアン・タウン、池袋等の中国人が集まるチャイナタウンなどの中国・朝鮮系の一部アジア系料理店では提供されており、食用犬の犬肉を中国から5トン(2008年の動物検疫による輸入畜産物食肉検疫数量)輸入している。

C 野味の食文化

広東省や貴州省など中国南部ではタヌキやハクビシンなど珍しい野生動物を食べる「野味」の習慣がある。「広東人は飛ぶものは飛行機以外、泳ぐものは船や潜水艦以外、四つ足は机と椅子以外、二本足は人間以外なんでも食べる」などと言われるほどさまざまな物を食材に使用している。嶺南地方の温暖冬季少雨気候(サバナ気候~温暖湿潤気候移行部型)で育つさまざまな野菜や海に近いために多用される海産物を中心として、燕の巣、ふかひれ、イヌ、蛇、果てはセンザンコウからゲンゴロウといった他では珍しいものまでが広東料理の食材として市場で売られている。野生動物を用いた料理は「野味」(広東語 イエメイ)と呼ばれるが、ハクビシンがSARSの感染源とされたため一部規制されるようになった。

D 茅台酒(マオタイしゅ)

貴州省には、茅台酒(貴州茅台酒、Maotai、Moutai)という世界三大蒸留酒に数えられる(他はスコッチウイスキー、コニャックブランデー)蒸留酒がある。茅台酒という名前は、産地の茅台(貴州省北西部仁懐市茅台鎮)に由来し、中華人民共和国貴州省特産の高粱(カオリャン、蜀黍、モロコシ)を主な原料とするアルコール度数は53%もある蒸留酒である。この酒は1915年に開催されたサンフランシスコ万国博覧会で金賞を受賞したため、一部で国酒と呼ばれている。

 

3)政治・経済

1978年の経済自由化を促進する「改革開放政策」、2001年のWTO(世界貿易機関)加盟を契機とした国際貿易の拡大、「経済特区」政策による積極的な外資誘致などを背景に、段階的に高くなる経済成長を実現してきた。世界経済における中国のGDPの割合は、2002年の時点で4.4%、2007年が6.3%、経済成長の減速が始まったとされる2011年以降も、2012年が11.5%と年を追うごとに拡大傾向にある。また、世界の経済成長率への主要国の寄与度において先進国の多くが経済成長が低下している中でアメリカを超える世界一の大国を目指し、その地位は今や「世界の工場」から「世界の市場」へと移行しつつある。

今の日本では、都市部と地方では大きな格差はない。しかし、中国では生まれた地域で国民の戸籍を分ける中国特有の「戸籍制度」が関係し、都市部のエリートは月収100万円近くを稼ぎ出す人も珍しくない一方で、農村の住民たちの多くは1日1円や2円の稼ぎを得るために、毎日汗水を垂らして働いているという現実がある。

 

4)歴史

前漢末期(前523年-前27年)まで『史記』西南夷列伝に記述される夜郎国が存在した。戦国時代には楚が勢力を延ばし、黔中郡や且蘭郡を設置し、後に秦の黔中郡となった。「黔」は貴州省の略称として使われている。ミャオ族など少数民族が多いため、中国の中央政権がこの地域を支配下においても土着の封建領主を通じて間接支配することが多かった。明代の1413年には「貴州布政使司」が設置され、13行省(中央政府の出先機関)の1つとなった。清代には貴州省が成立した。省内第二の都市である遵義市は、中国共産党の長征の途上で、毛沢東が主導権を握った遵義会議の故地である。

「夜郎自大(やろうじだい):世間を知らないで、自分の力を過大に評価すること、または、自信過剰の世間知らずのこと」という四字熟語は、史記「西南夷列傳」に、「滇王與漢使者言曰 漢孰與我大 及夜郎侯亦然 以道不通故各自以為一州主 不知漢廣大」:漢の武帝からの使者に対して、夜郎の西にあった滇(てん)国の王、嘗羌(しょうきょう)が「漢とこの国ではどちらが大きいか」と訊ねたという記事によりできたとされる。

貴陽市から南29kmの所に位置する青岩古鎮(せいがんこちん)は、明代(1378年)に作られ、かつては明、清代の軍事要塞として機能していた。貴州省の四大古鎮の一つで、600年もの歴史があるプイ族、ミャオ族の街である。龍泉寺などの八つの寺、薬王祠など八つの祠、文昌閣など四つの楼閣および祠堂や書院や牌楼(屋根付きのアーチ形の建築物)など様々な中国の伝統的な建築物があり、明、清代の建築物博物館としての機能を持つ。

軍事拠点として石で造られた町の城壁

 

城壁の展望台からみた、城外の街並み